久山 薫/うつ病からの回復

【私にもできた】うつ病 克服の記録

【うつ病×仕事】ノルマ・プレッシャー…限界を超えた私の選択

私はうつ病と診断されて 1年以上過ごしています。しかも、復職に失敗してうつ病を再発してしまい、2023年07月に会社を退職しました。
退職する決断をするときは、怖かったです。これからの生活のこと、収入のこと、再就職のこと。いろんな問題が頭の中をぐるぐるして、パンクしそうでした。
今では、日常生活なら問題なく過ごせて、次の再就職に向けて就労移行支援サービス LITALICOワークスに通っています。
私のうつ病との向き合い方を話していきますので、今苦しんでいる方の一助になれば幸いです。

うつ病の最初

私は出版社に勤めていて、営業職をしていました。書店さんへ訪問して「弊社の本を扱ってください」と売り込みに回る仕事です。ノルマはもちろんあります。受注件数と受注金額の2つのノルマがあり、2つ達成する必要があります。
2021年にうつ病を発症しました。原因は、コロナ期による書店さんと会社との板挟みの状態でした。
コロナ期には、書店さんは、出版社からくる営業に対して「感染問題があるから、訪問を控えて欲しい」という姿勢でした。2021年のときには、コロナは対策が感染を防ぐしかなく、書店さんの主張は理解できました。そんな中、最初の内はコロナの影響を静かに受け入れていた会社の態度が変わってきました。「売上を取ってこい」と言い始めたのです。しかも、内部留保金がたくさんあるのにです。
会社はコロナ禍でも、今までと同じ量の本を作り、大量に在庫を抱えていたのです。それで、営業に白羽の矢が立ちました。
・書店さんとの信頼関係を壊したくないから、訪問を控えたい
・会社からの逃げ場のない売上へのプレッシャー
思えば、このときから
・言いようのない不安感
・無意味な自己否定
・食欲減退
・過度な飲酒
・睡眠不足からの不眠症
・激しい動悸
このような症状が出ていました。

■無理して働き続けて最初の休職へ

この状態でも、訪問ができる書店さんには、訪問時間を短縮して訪問をしました。訪問ができないところには、自作のおすすめの本を紹介したチラシを用意して郵送後に電話をいれていたりして営業活動をしていました。それでも、コロナ前の売上からは程遠い数字でした。
そうこうしてると、会社からのプレッシャーが次第に強くなり、ノルマに対して 80% 前後の売上をあげていたのに私にだけ攻撃的な叱責が向けられるようになりました。
会社に対して疑問もありました。内部留保金がたくさんあるのに、なぜ、今まで通りに本を作るのだろう?
本を作る量を半分にすれば、それだけコストも下がるし、会社のランニングコストが下げられます。コロナ禍は、売上を求めるよりも、コストを下げて生き続ける方法を考えるのが優先なんじゃないか?コストを掛けずに売上を上げていく方法、例えばAmazonで売れやすくするにはどんな方法があるのか?出版社もネットで宣伝したほうがいい。なんて、上司に意見をしていたから目をつけられていたのかもしれないです

■ついにうつ病発症

そうこうしている内に、2021年の5月のGW連休明け、突然体が動かなくなりました。会社に行かなくちゃ。という気持ちはあるんです。けれども、体が動かない。もう、パニックです。そして、涙がぽとぽと落ちてきます。会社に電話することもできず、枕元にあるスマートフォンでメールで時間をかけて連絡しました。このとき、会社を休める、と実感したときに急に体が軽くなり、多少は動けるようになりました。それでも、倦怠感があり、背中が重かったのです。この時は、コロナに感染した!? と考えて、発熱外来へ行きました。
発熱外来では、異常はありません。と言われてしまいました。体は思いし、這うように病院に来たのに、異常がないって。。。どうゆうこと??って、感じました。一応、会社にコロナではなかった、とメールで連絡を入れて、家で寝ることにしました。
家で寝ていても何も変わりませんでした。そこで、心療内科クリニックを受診することに決めました。重い体を引きずって、パソコンの前に座り、必死に近所の心療内科を検索しました。電話をなんとかかけて、3日後に予約を入れることができました。この時は、3日も会社へ行かなきゃいけないのか。。。と思ってしまい、またズシンと体の重みが増えたのを感じました。
結局、3日間は会社を休みました。毎朝、体が動かないからです。いっそのこと、コロナでした。って嘘つけば、10日間の休みを確保できるので、嘘つけばよかったな。そんなことを考えた 3日間でした。
3日間が過ぎて、心療内科の受診日。問診票を書いて自分の番が来るのを待っていました。この待ち時間が、長く感じました。そして、受診。
医師の反応は、
・食欲はありますか?
・眠れていますか?
・お酒の量はどのくらいでせすか?
・会社のお仕事はどんなことをしているのですか
こんなことを質問されました。
そして、診断はうつ病でした。
お酒を半年間やめられますか?という質問をされました。私がキョトンとした表情をしていると、「半年間お酒をやめられれば、アルコール依存症の診断はしませんよ」を医師から言われました。アルコール依存症??と思い、私ってアルコール依存症なのですか?と聞き直すと
・毎日飲んでいる
・昼間も飲んでいる
・濃いお酒を直接飲んでいる
の3つの理由を教えてもらいました。ここで、お酒を半年でもやめる決断をしました。
これが、私の最初のうつ病診断の流れです。

■最初の休職期間

うつ病の診断を受けた私は「これで、会社が休める」と意気揚々だったのを覚えています。今、考えると、適応障害じゃなくて、うつ病だったのが不思議ですね。
会社にメールで診断書と診断結果を報告する連絡をしました。次の日になって、会社から電話があったのですが、出る気になれずに放置してしまいました。放置した理由は「うつ病になったら、クビだから」と言われてしまう気がしたからです。そしたら、メールで休職に必要な書類を送るから書いてほしいことが書いてありました。そんなことだったんだ。とホッとして、メールを確認したことを返信メールで送信しました。
会社から傷病手当金の書類が送られるのも、ビクビクしていました。クビの勧告書が入っているんじゃないか?って思っていたからです。クビを切られることに恐怖していました。
ちなみに、お酒は完全にやめていました。お酒をやめるのは、以外に簡単でした。残っていたウィスキーを捨てて覚悟を決めて、缶酎ハイは奥さん用にして、自分は炭酸水を飲むことにしました。炭酸水のシュワシュワ感で喉こしをごまかしていました。さらに、今はノンアルコールの飲み物が種類が多くあり、気分だけでもレモンサワーを楽しむことができたのも、半年間の禁酒に成功した要因でした。

■焦る復職への気持ち

休職期間は、服薬を守っていたおかげで、3ヶ月ぐらいで日常生活はまともに暮らせるようになりました。けれども、クビ恐怖症は相変わらずにありました。
月に 2回の心療内科への通院、会社への月に 1回の報告に慣れてきました。この頃は、早く復職しなくちゃ、クビになる。とそんなことを考えていました。医師にも相談していたのですが、復職の前に体力をしっかりつけるためにもウォーキングから始めてください。とアドバイスを受けました。私は、ちょっと真面目な性格をしています。なので、医師の言う通りにウォーキングを始めました。駅前までがちょうど 15分ぐらいなので、駅前まで歩き、100円ショップを眺めて、帰る。そんな、ウォーキングコースを毎日、雨の日も歩くようにしていました。
このウォーキングの時間だけは、クビ恐怖症の考えはありませんでした。最初はいろいろ考えるのですが、あるっている内に頭の中は空っぽになってくれます。ちょっと、歩くのが楽しくなった経験でした。
うつ病の療養期間は、2021年05月~2021年12月までの 8ヶ月でした。

■リハビリ出社が始まる

2022年01月から、休職期間はそのままで、リハビリ出社が始まりました。このとき、会社へ行くのは怖かったです。けれども、行きました。ちなみに、リハビリ出社とは、長期に休んだ人が通勤や仕事に慣れるために、休職期間中に会社にいくだけの行為です。会社に行って仕事をするわけでなく、ただ、本を読んだりしています。軽い仕事を与える会社もあるようです。この期間中に、私は会社の社員に対する姿勢に対して考えさせられるきっかけがありました。
交通費の問題です。私が社長だったら、頑張って復職しようとしている人に対して交通費を支給することをします。だって、頑張ってくれているのだから。なのに、私が勤めていた会社は、リハビリ出社の交通費を支給してくれなかったのです。この会社の姿勢は、私をがっかりさせるのに十分でした。私はこんな会社のために今まで頑張ってきたのか。。。こんなふうに考えてしまい、コロナ禍で感じた不信感がさらに深くなりました。
なので、リハビリ出社は、かなり時間がかかりました。最初は、午前中までの出勤を週に 3回を 1ヶ月。次は、午前中までの出勤を週に 5回を 1ヶ月。次は、週に 3回を終日にして、最後は、5日終日のフルタイムの出勤をして、4ヶ月かけてリハビリ出社を終わらせました。
最後の方になると、またここで働くのか~。。。と暗く重たい気持ちになったのを覚えています。

■復職直後の会社の言葉と交渉決裂

2022年05月、正式に復職することになりました。やっと働ける。と意気揚々にテンションが上りました。会社のためというよりも、書店さんと会える。という気持ちが強かったです。
そんな私に会社は、ありえない一言を言ってきました。「あなたの残りの休職期間は 2ヶ月です。3年以内にまた休職するようだったら、2ヶ月しか休めません。その後は、自己退職してもらいます。」という言葉でした。なんなん???と一気に会社への不信感が増しました。
日を改めて、今度は私が会社へ要求を出しました。「給料を 30%カットしていいから、ノルマを 30%ダウンで始めさせてほしい。その後、1年ごとに 10%ずつ上げてもらって、3年で元に戻すって計画でお願いします」という、要求です。本人が了承しているので、給料を下げることは可能なはずなのに、会社からの答えは NO でした。なので、私は復帰初日から、ノルマ 100%に追われる仕事をやることになったのです。

■不信感とプレッシャーでやっぱり潰れる

会社との話し合いも終わり、仕事に復帰しました。書店さんからは「大丈夫??」と声をかけてもらい、心を癒やしてもらいました。
会社でも上司は「最初の内は、勘を取り戻すのも大変だろうから、ゆっくり始めてくれ」と以外にも優しい声をかけてもらいました。
営業成績は、ノルマ達成率 50%と情けない数字でしたが、最初の内はこんなもんだろう、と上司も言ってくれました。
とは言え、会社です。売上が全てです。月を重ねるごとに、私のノルマ達成率は 60%、70%、75%と上がっていますが、ここまでが限界です。ここまで達成するのにも、残業が必要なのに、さらに残業となると体と心がついてきません。
最初は優しかった上司も「もう、半年過ぎているんだから、なんとかノルマを達成しろ」と言ってくるようになりました。そして「まだ、ノロノロ仕事しているのか、だからダメなんだよ」「うつ病なんて、嘘だろ。たっぷり休んだんだから、その分、きちんと稼げよ」「いつまでも特別扱いされると思ったら、大間違いだぞ」と叱責されるようになりました。
こうなると、もうダメです。復職しても、心療内科へ通院をしていて服薬はしていました。体を動かすことはできます。とは言え、すっごい倦怠感が襲ってきます。背中に大きな石が積んであるような倦怠感です。服薬しているのに、この状態だったら、薬がなかったら動けない状態なんだろうな。。。と考えるようになりました。
この時期になると、インターネットの検索履歴はうつ病に関連するものばかりでした。うつ病・自己退職。うつ病・生活資金。うつ病雇用保険。などです。自己退職すると、すぐには雇用保険は受給できない。傷病手当は、1回しか受給できない。などの情報に惑わされてしまい、辞める決断ができないでいました。
転職も視野に入れて、インターネットを使って活動していたのですが、どこも書類選考で落とされてしまい、転職活動を続ける気力もなくなってしまいました。八方塞がりになってしまい、生活防衛資金が 1年分あることを奥さんに相談して、退職することに決めました。2023年05月、まずは休職申請を会社にしました。

■再びの休職、そして自己退職

2023年05月、休職するために医師の診断書を持って、会社へ行きました。上司とも社長とも話をせずに、普通に仕事をして総務に残っている有給休暇を確認しました。
もう会社に来るつもりはなかったので、重要な私物だけ持ち帰り、後は引き出しの中にそのまま残して、会社を後にしました。引き出しをきれいに片付けると、会社を辞める、と考えていることがバレるからです。
最初は、残り 1ヶ月分の有給を消化して、その後は休職に移行しました。やり取りはすべてメールで済ませました。
会社から、傷病手当金申請書が送られて来ました。このときに、考えたのは、最初の傷病手当金の残り 6ヶ月分の申請書かな?と考えていました。けれども、指示書には「6月◯◯日から7月◯◯日で、休業期間を申請してください。待機期間があるからです。」と書いてあったので、あれれ?まさか、もう 1回傷病手当金を受給できるの???って、不思議に思いました。言われた通りに、申請書を用意して郵送しました。
そして、2023年07月20日に会社を辞めました。スッキリした気分だったのを覚えています。

■退職後の簡単な流れ

退職後はすぐに動きました。自立支援医療制度の申請、健康保険組合国民年金ハローワークの手続き、就労移行支援サービスへの体験申込と利用申請。約 1ヶ月ぐらいの時間をかけて、手続きをすませました。
ちなみに、傷病手当金は 2度目の受給となりました。これには、本当に助けられました。
以上が、私のうつ病体験記です。
うつ病は、理解されにくい病気です。この記事をきっかけにうつ病を共有できる仲間が増えてくれることを願っています。